毎年この日には
色々と思うことを
少々シリアスチックに綴ってますが
今年は
私が下した大きな決断について書いてみます
親しい人達には既に伝えてありますが
私は来年の2月には
自らが経営する店から引退します
50を過ぎた自分が店に立っているのは
「海月食堂」の雰囲気には合わないと常々思っていたのもありますが
決定的だったのは
今年の5月に店を連休して
帰省した際に会った母方の実家の親族が
要介護状態に陥ってるのを目の当たりにしたから・・・です
年老いて要介護になった伯父と叔父の二人暮らしの家に
年老いた私の母親が自ら車を運転し
週二回
高速道路とフェリーを乗り継ぎ通い続けるという
かなりハードな老老介護を余儀なくされています
伯父も叔父も
十分な貯えをしてありますので
それなりの施設にねじ込んでしまえば周囲は楽ですが
母を含め本人達の希望を尊重し
可能な限り在宅での介護を選択しました
私は齢50になるまで
奔放に生きてきましたが
早くに連合いを亡くし
金銭的苦労を余儀なくされながらも
5人の子供を育てた母親と
そんな母を
背中から支えた母の親族が弱っているのを見るにつけ
流石に少々身につまされ
何かしら手助けができればと
母の実家の近くに拠点を移すことに決めました
ただ拠点を移す
近所に引っ越すのは至って簡単ですが
問題は糧を得る為の仕事です
介護のつもりで近所に越しても
糧を得る仕事が無ければ経済難民になりかねないのは事実です
私の実家は
しまなみ海道の大島という島の吉海町という所で
ここですら既に過疎化が激しく
引っ越したところで糧を得る為の仕事など
皆無に等しいくらいですのに
母の実家のある土地は更に不便な離島で
65歳以下の住民は殆ど居ない限界集落
私の本業の中華料理屋などを開業しても
自殺行為にしかなりません
だからといって
百姓に戻ったところで
体力的にも技術的にも
まともに収入が得れるとはおもえません
どうしたものかと
しばらくは思案してましたが
誰かの為に何かをしようと思っていれば
色々な人が助け船を出してくれるものです
限界集落ならではできる産業
母の実家周辺でしかできない産業なんてのを
すんなり見付ける事ができたのですよ
権利関係の諸事情があって
その事業の内容は今現在は詳細をここには書けませんが
大きく育てば
地域の為にも日本の為にもなる産業です
今は来年の起業に向けての準備中で
毎週のように実家周辺に行っているのもこのためです
沢山の人の援助や協力を戴いて
来年の前半には
なんとか起業できそうなところまで漕ぎ付けました
私の生活拠点は母の実家の近くに移りますが
海月食堂の営業は変わらず続ける方針で
二代目の親方は
当然の事ながらモスが就任します
今でも料理はモスが担当していますので
味が変わったり
品質が落ちることは全くありません
今までと変わらない
否
むしろ今までより良い海月食堂になることは
間違いないかと思います
私の新しい事業で生産する物も
主な消費地は都市部なのもありますし
私の神戸の自宅も維持したままにしますし
お店の様子も見に来ます
月の内の数日は
神戸に居ることになりそうです
予定はあくまで予定で
全くの未定ではありますが
来年の今頃には
新事業も軌道に乗っている筈です
沢山の人を巻き込み
数名の友人たちはこの事業の為に人生をかけてくれてます
みんなの力添えで
きっと上手くいくでしょうし
みんなの為にも私の為にも
必ず上手くいかせるつもりです
今宵イヴの夜
来年のイヴは成功の美酒に酔っていることを願って
安酒に酔います
せめて今宵は
全ての人が夢に酔えることを願って
神が使わした子に祝福の言葉を・・・
HappyBirthday Jesus and MerryChristmas