1月17日
神戸に13年以上暮らす人にとって
この日はやはり特別な日
あれから13年
もはや震災の影響は無くなってる様に見えますが
実際にはまだまだ・・・
確かにあの日の
地獄絵巻の様な様相とはかけ離れた風景にまで
神戸の街は復興したのは確かです
しかし・・
復興住宅と呼ばれる
立派な鉄筋の高層住宅で
誰にも看取られる事無く
独りで亡くなった人は
昨年だけで60人にも及び
かつては賑わっていた下町は
過疎化に歯止めがかからず
経済的負担に
人々は押しつぶされそう
・・・
・・・
・・・
行政の言う復興と
実際の人々との生活との激しいギャップに
戸惑いを感じずにはいられないのは
私だけでしょうか?
もはや
歪んだ建物は見る事は無くなりましたが
あの震災以来
何かが歪んだままだと
今現在も
疑問に思わざるを得ません
あの日あの時あの場所に
居合わせた、全ての人に哀悼を
本日は木曜で定休日です
makimakiさん、13年ですね


でも神戸近畿にはもう一度すごい地震が来るかもしれないらしいですね(-_-;)
今でも思い出すことも多々ありますが、月日の経つ間に辛い思い出は薄れていくようで。。。
友人、知人… 多くの人が亡くなりました…
大切な記憶ではありますが、やはり人間は前を向くしかないようです。
願わくば、その方向がよき方に向かうことを願います。。。
御子息を亡くされたというお母様の言葉
「私たちにとっては、1年も13年も同じ・・」
涙ながらに話されていました。
震災に遭われた方の心の傷
癒える事はないのでしょう。
しかし、その傷が少しでも浅くなれば・・って、思わずにはいられません
この痛ましい災害の二ヶ月後、いまわしい事件が首都でもありましたね。。
朝のテレビの生中継は、サンテレビだけなっていました。
今生きている人が、亡くなった人への供養をすることも忘れてはいけないと思います。
神戸の下町といわれる場所にある商店街に
買い物を兼ね散歩に出かけました
商店街の大通りの脇に こみちがあり
何の迷いもなく歩いていくと
難を免れたのであろう住宅群が軒を連ねていました
生活の香りがしっかりありました 住宅の通路に歩き出してすぐのことです
何方かをお尋ね? と初老の女性に問いかけられました
言葉は丁寧でしたが 目は笑っていませんでした
その声に反応するように 家々から人が外に出てきました
苦しい言い訳をするのが関の山でした
その日 三ノ宮の街の灯も賑わいも 殆ど目に入りませんでした
悪気がなかろうと その分 より性質が悪いであろう
自分の振る舞いを 今でも深く恥じ入っています
この日を忘れてはならないと思います。
あれから地震対策、かなり強化されましたね。
震災は何時来ても不思議ぢゃ無いらしいですね
予想が立てば被害も減るのでしょうけど・・ねえ
>鋼鉄野朗さん
あまりに沢山の人が亡くなりましたから・・ね
残された我々ががんばらないと
>たらり子さん
実際に、我々ですら13年も経ったとは思えないのに
御親族を亡くされた方は・・ねえ
政府は、あの忌まわしい事件の被害者に
御見舞い金を出すそうですよ
ええ・・13年経った今年に
>おじゃるさん
もはや過ぎ去った事実の一つなんでしょうね
私の中にはいまだに深く残ったままですが・・
>タフタさん
震災直後から
被災地を物見遊山に来る無神経な人が多く
(中にはツアーを組んでくる人も居ました・・)
倒壊した建物を珍しがって見て廻ってました
被災した人達は
その日の暮らしすら儘ならない状況でしたので
かなり過敏になっていたのは事実です
あまりお気になさらず・・ね